無料ダウンロード英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678)) pdf
英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678))
無料ダウンロード英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678)) pdf - 鳥飼 玖美子による英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678))は中央公論新社 (2020/2/6)によって公開されました。 これには352ページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、2人の読者から4.7の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
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英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678)) の詳細
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書名 : 英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678))
作者 : 鳥飼 玖美子
ISBN-10 : 4121506782
発売日 : 2020/2/6
カテゴリー : 本
ファイル名 : 英語コンプレックス粉砕宣言-中公新書ラクレ-678.pdf
以下は、英語コンプレックス粉砕宣言 (中公新書ラクレ (678))に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
「英語コンプレックス粉砕宣言」なる、すげータイトルの本書は、英語教育の専門家_鳥飼玖美子氏と、日本語力を中心とした教育学の専門家_斎藤孝氏の対談本です。斎藤氏は本書の対談後に「日本語力で切り開く未来」というタイトルの新書を上梓されております。続けて読みたいところですが、まずは本書。ひとことでいえば、お二人の共通意見「英語力より、まずは日本語力」というのが本書の結論かもしれません。その根拠について対談が展開するのですが、専門分野が異なるご両人には若干の意見の相違もみられます。英語いぜんに日本語力を向上させる教育的方法論として斎藤氏がくり出す奇抜な?アイディアに、鳥飼氏が ”へぇー!?” な場面がところどころに出てきます。そんな場面に小職のツッコミも交え、レビューとしてみたいと思います。P35あたりから、日本人の「英語ペラペラ病」が指摘されます。これはもう、以前から指摘されてきたことですね。読み書きよりも、ネイティブみたいにペラペラしゃべるのが目的化した ”病理” ってとこでしょう。コミュニケーションとしての英語力がペラペラ幻想にすり替わり、それを信じてやまない状態ですね。出発点は、コミュニケーション英語という観点です。コミュニケーション能力ってナニ?というところにフォーカスするなら、たんに「ペラペラさん=コミュニケーションできる人」、ではないでしょう。「相手の考えを聞きたい、相手に自分の考えを聞いてほしい…」、そう思いあえる関係づくりがコミュニケーション能力ではないでしょうか。「オーマイガッ!」をいくら流暢に発っしても、そんな会話は5分と持ちません。本書内でも指摘されますが、そもそも「オーマイガッ!」という ”それっぽい” コトバは、普段使いには要注意な、時と場合を選ぶ言葉です。ペラペラ病が、そういったネイティブっぽい言葉の ”連発症” なのだとしたら何をかいわんやですね。母語(たいていの日本人にとっての日本語)で、しっかり思考を言語化(つまりメッセージの確実な伝達)できなければ、コミュニケーション能力はおぼつきません。P45では、知識を得るための詰込み型教育のあり方につき、両者の合意が見られます。2002年の学習指導要領改訂による、いわゆる ”ゆとり教育” により、詰込みより主体性重視とされました。しかし、詰め込んだ知識の応用なしに、主体性もコミュニケーションの深堀りもあり得ません。知識力(量)はしっかりかためてほしい、ということです。それが英語力(英語を使ったコミュニケーション)の原動力でもある、ということでしょう。P85あたりからは「英語の ”植民地化”」という、けっこう刺激的なコトバにより、インドや日本の事例を引きながらペラペラ病を憂えています。宗主国の支配という歴史背景により、やむを得ず英語を公用語とする多くの国と、そうならなかった日本語の独自性、有益性を相対化させる形で日本語能力を尊重すべき根拠をあぶり出す意見が交換されます。もっと日本語に誇りを持ちたいものです。P66で斎藤氏が述べておられるとおり、日本語で考え、表現し、意見交換することが、みずからの能力の発揮に直結し、それがグローバルに活躍できる日本の強さを維持する戦略だと思います。P113あたりからは、英語の文法力の重要性も説かれます。話す、まえにSVOの基本から始まる読み書きの充実あってこその「聞く・話す」だと思います。”ペラペラ” 前提の会話英語は、内容もペラペラなままで終わることでしょう。発音がネイティブっぽいのに、読み書き能力がいぶかしいためにハナシの内容も薄いままでは、文科省のいう真のコミュニケーション力は遠ざかるばかりではないでしょうか。ペラペラになりたい ”英語好き” は、自分でそういう訓練をすればいいし、そういう教材もいろいろあります。たとえば、聞き流すだけでオッケーみたいな都市伝説のごとくの教材ももてはやされているようですが、両著者とも懐疑的です。P154あたりから、英語を英語で考える無為無策が批判されますが、まったくそのとおり。慣れない英語を一生懸命授業で話している先生の姿が、容易に想像されます。生徒は感心するでしょうね、先生がんばってるな~、と。しかし、日本語で教えてもわからないことを英語で言って、どう生徒の理解が進むのか、、、日本語で理解する能力を鍛えることで英語能力も相乗的に向上が期待されます。第二言語能力は母語のそれを超えないわけですから。このままでは先生も生徒も疲弊し、努力は徒労に終わりそうです。一つだけ鳥飼氏のご意見に違和を感じる部分もあります。英語を学ぶ理由における「異文化理解のため」という目的です。その意味は理解可能ですが、異文化理解はそのための別学習がいいと小生は感じます。英語を(グローバル共通言語の)ツールとして使えるようになるための技術を教え、将来、英語で会議などをこなさなければならなくなったときに困らない程度に英語を使えるようにすることが、一般者への英語力涵養の最小公約数的なゴールでは、と感じます。ある程度、読み書きを詰め込み、日本語で考え、和文をアタマのなかで英訳するように英語で会話ができたらいいし(現に、小職の務め先ではそんな感じの英語会議ですし)、もしネイティブみたいなしゃべり方をしたいなら、そういう訓練を個々のレベルでやればいい、考えます。なんだか自分の意見ばかりになってしまいましたが、対談本という形式上、サクサク読めて両著者の主張もさらっとおさらいできるのがいいですね。日本語力を向上させて英語力も上げたいものですね(AIが担う翻訳が増えても、その内容検証ができる日本語力はますます重要ですから)。
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